いのちの記録

心臓病になった看護師チチ

おばぁ、ありがとう!またね!

 

2022年8月、大好きなおばぁが亡くなりました。

 

おばぁは認知症を患い、何年も入院生活を送っていました。

おばぁを思い出すと気持ちがほっこりするので、今日はおばぁとの思い出をお話します(#^.^#)

おじぃが亡くなる時のお話から。

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おじぃは、私が17歳の時に亡くなりました。

おじぃは狭心症でした。

発症してから10年後のことです。いつも無理をするおじぃ。

おじぃは体調が悪くても無理をして動いてしまうおじぃでした(おじぃに似た私)。

おじぃの病状が悪化して、もうそろそろ逝くかもということで、家族全員呼ばれました。

内地(本土?日本?)にいる身内も沖縄に帰ってくるため飛行機で急いで駆けつけました。

おばぁは病院で、次々到着する子どもや孫たちを迎えていました。

すると、知らない人が来ました。

誰だろう?と考えていると、その人におばぁが近付いて、

「よく来てくれたねー」と泣きながら抱きしめていました。

その人、おじぃの隠し子でした。

 

、、、、、、おばぁ(T_T)、、、言葉が出てこなかった。

かっこよかったよ、おばぁ。

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おじぃが亡くなってから、おばぁとキッチンでおしゃべりしている時に、おばぁがアロエをそのまま食べていました。

「おばぁアロエ生で食べるわけ?」と私が聞くと、「長生きしないとねー。」とニコニコしながら言っていました。

たまらなく可愛いおばぁ。

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私が24歳の時、今の夫と結婚して横浜に住んでいました。

おばぁの子どもたちが関東にいたため、おばぁが元気なうちに会いに行こうということになり、私が運転手になっておばぁを色々連れて行くことになりました。

東京のおじさんの家を拠点に、おばぁと色んなところに行くのはすごく楽しかったです。

夜は一緒にお泊まりして、おばぁとたくさんおしゃべりしました。

(写真一枚目)

おばぁがティッシュをたくさん使ってたから、

「おばぁよ!もったいないよー!一枚一枚使ってよ。はっし!」と言うと、

おばぁは、「あい! チチ偉いね。そういうこと考えるようになったの? そうだよ。節約だよー。」

と言いながらまたティッシュを使いまくっていました。

私はおばぁに褒められて誇らしかったです

(*^_^*)

埼玉に行った時は、従姉とおばぁと3人で、電車内でキャッキャッしてはしゃいでて、乗り換えが分からず「あいやーどうしよーどこで降りたらいいかねー。」と言っていると、

紳士な人が近寄ってきて、「○○駅で降りて乗り換えた方が早いですよ。」とニコニコしながら教えてくれました。

お礼を伝え、紳士が去ると、「あの人おばぁに惚れちゃったりしてな?」と言ってまた女子3人でキャッキャッしていました。

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私が看護大生の頃、沖縄に帰省しておばぁもみんなで食事会をしました。

当時のことはFacebookにアップしたのですが、その時の(写真二枚目)会話が残っています。

2013年、3月

私におばぁがこそこそっと話しかけてきました。

おばぁ『チチ、あっちの人よ、さっきからおばぁのことずっとみーちきー(見てくる)するさー(-_-;)』

私『ん?誰が?』

おばぁ『ありっ(あごで示す)』

私『おばぁに一目惚れしたんじゃないの?』

おばぁ『違うさー。おばぁはいくつなのかねーって気になってるんだはずよ』

私『はー!?そうなのかな(笑)』

おばぁ『うん、だぁるよー。(自分の服見て触りながら)おばぁ痩せてないよー。太ったさー。』

って真剣に言ってました。

おばぁ、、、、、

おばぁ87歳。可愛いままでした(*^_^*)

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おばぁが軽い認知症になり、私のことを覚えているうちに会えるのは最後かもしれないと思い、沖縄に帰っておばぁを連れ食事に行きました。

食事が終わりレストランから出ると、おばぁと別れる時に手を握りながら2人で泣いていました。

おばぁは、私に、「どんなことがあってもがんばりなさいよ。歯を食いしばってやらなきゃいけない時もあるからね。」と言ってくれました。

それから3ヶ月後、おばぁは入院しました。

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おばぁと最後に会えたのは、2019年12月、沖縄に帰って入院してるおばぁのお見舞いに行った時でした。(写真三枚目)

コロナの直前に会えて本当に良かった。

コロナ後は一度も沖縄に帰れていません。

おばぁは車イスに乗って、介護士さんに連れられてきました。

おばぁ、元気そう。顔見れて、会えて、すごく嬉しかった。

おばぁのカバンの中にはブラシが入っていて、服もオシャレで清潔感がありました。

おばぁは入院しても認知症になっても、身だしなみをちゃんと整えていました。

それに、病院のスタッフさんに大事にされてるんだろうなと分かり、安心しました。

おばぁは私のことは分からなくなってるけど、一生懸命色々なことを話してくれました。

「おばぁは家帰ったらたくさんお金あるから、お小遣いあげようね❤️」

通り過ぎた介護士さんたちを見て、

「あれおばぁのお友だち」

とニコニコしながら手を振っていました。

私はというと、おばぁの手の血管に惚れ惚れし、「おばぁの血管美しいね。この血管は長生きできるよ〜❤️」と、おばぁの浮き出た美しく走行する血管を褒めちぎっていました。

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2022年7月末、おばぁの意識がなくなり、もうそろそろ、、、という連絡を受けました。

私は主治医から遠出の許可が降りてなくて、自分でも一人で沖縄に帰れる自信がありません。

おばぁが生きてるうちに伝えたいと思い、入院している沖縄の病院に電話しました。

病棟の看護師に、私は遠くにいて会いに行けないから、多忙の中大変申し訳ないけど伝言をお願いしたいです!と言ったら、

看護師「それなら、受話器をおばぁちゃんの耳に当てるから、直接話してくださいね。」

天使さんありがとうございますーーーーーーーーーーーーーー(TOT)

おばぁの耳に受話器が当てられた時、

「おばぁ、チチだよー。おばぁ、大好きだよ。ありがとう。いっぱいありがとうね。お疲れさま。おばぁ、ゆっくり休んでね。」

と伝えました。

まぁ、いざ話す時になったら色んな想いがこみ上げてきて、嗚咽しながらだったからおばぁ何言われてるか分からなかったと思います(〃∇〃)

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2022年8月3日、0時50分。

おばぁ、97歳。

意識がなくなるギリギリまでご飯を食べてたそうです。

人生、生ききりました(^_^)

私は10代の頃荒れていて、取っ組み合いのケンカするわタバコ吸うわ高校退学するわ年齢嘘ついてアメリカ軍人のクラブで働くわで、やんちゃ娘でした。

けどそんな私をおばぁは一度も責めたことはありませんでした。

いつも気にかけてくれて、体を気遣ってくれて、

「自分の体大事にしなさいよ。」

「人の言うことはよく聞くんだよ。」

「人にはいつも感謝しなさい。」

「誰かが何かやってくれたら、ちゃんとありがとうございますって受け取るんだよ。」

「そんなにね、悪い人はいないから。けど、人はよく見なさいね。じーっと観察するんだよ。」

「いつも感謝の心を持つんだよ。」

たくさんのことを教えてくれました。

苦労人だったけど、どんな時もグチや悪口ひとつ言わなかったおばぁ。

誰に対しても感謝して、誰に対してもものすごく優しくて、たくさんの人に愛情を注いだ人生でした。

おばぁの手作りの油みそが美味しくて大好きでした。

おばぁ手作りのサーターアンダギーが大好きでした。

おばぁが大好き。

おばぁ、ありがとーん!ヽ(´ー`)ノ

天国でいっぱい美味しいの食べていっぱい楽しんでいっぱい休んでねー!

 

 

この写真を携帯の待ち受けにして看護大学の受験を乗り切りました。

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みんなで食事会をした時。ピースしてニコニコしてるおばぁ可愛かったな。

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コロナ直前の2019年12月、沖縄にお見舞いに行ったとき。これがおばぁに会えた生前最後の日でした。

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この記事を書いた以前のブログサイトでもらった言葉を残したい。

夫からのコメント(*^_^*)


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