いのちの記録

心臓病になった看護師チチ

看護の物語

2023年9月23日更新。

 

最近は、仕事以外は家に引きこもって心臓休めてあげてるから体調が良い。

症状が安定するまではこの生活を心掛けようと思っているところ。

節制がいつまでもつか分からないけど(^o^)/

 

それで、ずっと家だからやることといえば読書か映画か勉強。

柴キッズと遊んでみんなでお昼寝。

そして夫にいやがらせメールを少々。

そしてそして本棚あさりに夢中になる日々。

 

 

初心
 

私は看護師の初心を思い出すために、たまーに学生時代の講義の資料とか、看護実習で受け持たせていただいた患者さんの記録とかを読んだりする。

あの頃は、教授の話を無我夢中で聴いて資料に走り書きしてたり、

患者さんに専心してた気持ちや、闘病の中、実習生を受け入れてくれた患者さんやご家族を思い出す。

それで、今日は看護のブログにしようと思う(^_^)/

新人看護師の頃のレポートと、看護学生時代の教授の言葉を書こう!

 

看護師は働きながらそれぞれに思うものがあって、患者さんやご家族とのストーリーがある。

それで、その物語としての看護を提出する課題があったからそれを載せてみる(^_^)

 

 

看護の物語
 

(新人時のレポート)

今日までの一年間、私の感情が総動員したのではないかと思うほどの失敗と疑問を重ね、患者さんやそのご家族、そして他職員から学ばせて頂く日を過ごしてきた。

今回は一人の患者さんとの看護場面と、別の患者さんのご家族とのかかわりを振り返りながら考察し、話を進めていきたい。

90代の女性で心疾患、糖尿病、軽度の精神疾患、その他いくつもの疾患に罹患しているSさんという患者さんがいた。

全身に浮腫があり喘鳴もあった。

Sさんは四六時中表情が険しく、私は安楽な体勢はどれかと聞いたり表情を見ながら体勢を整えることの繰り返しだった。

冷えた手足に手をあて、さすったり、Sさんが安らげるにはと試行錯誤の看護をする日々だった。

Sさんは足の痛みを訴え体動があり、ベッド柵に足を投げ出す行為が見られ、24時間体幹拘束をしていた。

時々感情失禁があり、そのとき毎回ではないが時間を作ってベッドサイドに行くようにしていた。

私はSさんのそばへ行き、「Sさん顔見に来ましたよ。ご気分はいかがですか?苦しくない?」と言葉をかけた。

Sさんは「悪いよー。苦しいよー。つらいよー。」と言いながら私の手を探した。

私はSさんの手を握り、「つらそうですね。私に今して欲しいことはありますか?」と聴くと、

「ここにいて。あー、もうやだよー。」と弱々しく、嫌気がさしたように私に訴えた。

そのままそばでSさんの話を聴いて相槌を打っていたらSさんが泣き出した。

Sさんは言った。

「孤独だよ。この孤独は経験した人にしか分からないよ。あなたにも分からないよ。」

何も言えなかった。

返す言葉が見つからず、声が出なかった。

そのとき目頭が熱くなったが、失礼になる気がして泣いてはいけないと自分に言い聞かせるのがやっとだった。

Sさんはその後、状態が悪化し死亡退院した。

私はSさんが必要とする看護を提供できたのだろうかと自問自答するが、いつも行き着く答えはノーだ。

他にできることがあったんじゃないか、Sさんのサインに気づけなかったんじゃないか、あの時つらそうだったのに何もせず記録・報告を優先して去ってしまっていたと。

Sさんに安らぐときはあったのか、夜にぐっすり眠れる日はあったのか。

終焉を病院で迎えるということの意味と、それに対する必要な看護援助は何かと考える。

唯一の救いは、ご家族が面会に来られ、静かな時を過ごし、帰られたあと訪室すると、声を発する力も残っていなかったSさんの表情が穏やかになっていたことである。

 

Sさんの看護と並行して、別の患者さんのご家族とのかかわりもあった。

患者さんは高齢の女性でKさんという。

胃ろうから栄養を確保しており、体動が活発で安全のため24時間体幹拘束をしていた。

日曜日になると息子さんが一人面会に来られ、時折静かな声で母親に話しかけていた。

その息子さんの白髪まじりで丸まった背中を見て、はじめは通り過ぎているだけだったが、後ろ姿が寂しそうだった。

伝達することはなかったが、話しかけずにはいられなかった。

「こんにちはKさん。週末いつもお見えになっていますね。」と言葉をかけると、

「あー、はい。」と返事があった。

「お母さんほんと美人さんですよね。横になってるだけでも上品さが伝わってきます。素敵な女性ですね。」と伝えると、

照れた様子でもっと背中を丸め、笑った。

それから面会に来られた日は挨拶しに行くようになった。

私が気づいてない時は息子さんから「今日も来ちゃいました。」と笑顔で話しかけてくれるようになった。

私はまだKさんのチーム担当をしたことがなかったため、この親子に看護介入はしていなかった。

ある秋の日、Kさんに発熱が見られた。

その日も息子さんが面会に来られたが、「調子が悪そうなので今日は帰ります。」と、すぐ帰られた。

その数日後、Kさんの状態が急変し、下顎呼吸が見られた。

医師から息子さんへ連絡がいき、すぐに駆けつけて来られた。

検査結果から、多臓器不全であることが分かった。

Kさんが亡くなるまでの間、息子さんはベッドサイドで肩を落とし、すすり泣いていた。

親子で最後のときを過ごしていた。

そっとしておきたくてその時は話しかけなかった。

霊安室で亡くなったKさんに手を合わせ、病院の玄関で息子さんを見送る際に、泣きながら「ありがとうございました。」と頭を下げる姿にこの親子の歩んできた歴史を想った。

そして遺された息子さんのこれからの生活と気持ちが心配だった。

「どうかお元気で」と伝え、お互い抱きしめ合いながら涙の別れとなった。

後日、その息子さんから病棟と私宛に手紙が届いた。

その手紙は私の宝物に、励みになっている。

 

看護学生のときに、「看護師になった瞬間から自分の看護観を持て!」と教授に言われた言葉をよく思い出す。

私の看護観は、哲学や倫理を土台にしてケアとはなんだろうと考えながら患者さんやそのご家族に、誠実に看護実践を重ねていくことだ。

対象者を大切に思い、行動し、対象者が"自分は大切にされている"と実感してもらえる看護をしていきたい。

Sさんの事例では、私の看護観で良かったのかと悔やまれる。

Kさんの息子さんの事例では、これで良かったんだと思える看護になった。

患者さんやそのご家族に、"気にかけてますよ"という態度で接し、大切に思っている気持ちが伝わってくれればいいなと思う。

私は失敗も多く、患者さんをはじめ、ご家族や職員に迷惑をかけてしまうことがある。

この一年間で最近になってやっと、失敗したから気づけたこと、看護師の成長発達には必要な過程なんだと思えるようになった。

患者さんとそのご家族との出会いを原動力に、日々看護実践を重ねていきたい。

 

※患者さん情報一部変更してます。

 

 

教授の言葉
 

遺族ケアを専門にしている教授の言葉がある。

「看護への気づきは、看護をする人の人間のとらえ方、健康のとらえ方、死生観、生き方、そして看護観のあらわれ。

つまり人間としての、あなたたち自身が反映される。」

 

 

感情労働
 

看護師は、自分自身を道具として対象者へ専門的なケアをする。

それに伴い、特殊な感情労働の職業であり、傷ついた人を相手にする。

看護師自身も、自分の感情と向き合いながらやっていく。

私は、看護師としての自分のブレないベースを持ちつつ、迷ったり疲れたりした時は、患者さんたちとの物語を思い出してまた進む。

 

 

学生時代のひとコマ
 

シリアスな話が続いたので。

いや。これから話すこともシリアスなんだけど。

あえて言おう。

私の女子大生時代。

教授の研究室で卒業研究の指導を受けてる時に、調べ足りなさ過ぎてナメてると思われたのか、怒鳴られた。

「ふざけるな!今すぐ調べろ!!」

って教授が机を思いっきり叩いてバーン!って響いてる中、

いつもここですかさず電子辞書を出し調べるのだが、

電子辞書を出さなきゃいけないのは分かってるけど私にはどうしても出せなかった。

絶対出せなかった。

その電子辞書には大きい字で、

「褒めて伸びるタイプです」ってシールが貼ってあった、、、。

 

 

 

 

【新人時代お世話になった大好きな看護部長と】

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【朝から仕事なのに同僚と朝までカラオケ😇】

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