初日の挨拶の後、ナースステーションを出て病棟内に入った。
精神科の閉鎖病棟だからほぼすべての扉に鍵がかかっている。
鍵がかかっていないのは、患者さんの病室とトイレの2箇所だった。
閉鎖病棟の施錠の最大の目的は、患者さんを守るため。
病棟とナースステーションを分けるドアの施錠は、医療従事者を守るためでもある。
2014年、32歳ピチピチのチチ。
私が看護師になって初めて勤務したのは精神科病院の閉鎖病棟だった。
●特別な人
19歳の頃に働いていた大阪の救護施設で出会った1人のおじぃちゃんがいた。
大好きな人だった。
優しくて大らかな人で、孤独を感じる弱々しさがある微笑みをする人だった。
仕事の日は、そのおじぃちゃんに会えるのが楽しみだった。
私はスタッフで、おじぃちゃんは入居者だったんだけど、私にとって特別な人だった。
●1年間の思い出
救護施設で働いていた1年間、たくさんの思い出がある。
おじぃちゃんが色々な話を私に聞かせてくれた。
色んな表情を見せてくれて、色々なことを教えてくれた。
まだ若く未熟な私に、おじぃちゃんは合わせてくれていた。
ある日、おじぃちゃんが私の目の前に正座して私に言った。
「チチ、わしを殺してくれ。
わしを殺してくれんか。」
●おじぃちゃんが選んだ最期
大阪の夜間高校を卒業する20歳の春、救護施設を退職して東京に出ることになっていた。
退職直前、おじぃちゃんに私の電話番号とテレフォンカードを渡した。
「時々連絡をください。また会える日を楽しみにしています。お体には気をつけてくださいね。チチ」
手紙と一緒に、これからも気にかけていることを伝えたかった。
抱きしめ合って別れた。
数ヶ月後、おじぃちゃんから最近電話こないな、どうしたんだろうと気になっていた日の夜、先輩から電話があった。
おじぃちゃんが亡くなった知らせだった。
62歳、自殺だった。
大阪に行く度に無縁仏に手を合わせに行った。
悲しくて、無念で。
おじぃちゃん、苦しかっただろうな。
痛かっただろうな。
つらかっただろうな。
最期は1人で。。。
寂しかっただろうな。
●精神科に進む決意
おじぃちゃんはうつ病だった。
おじぃちゃんとの出会いのおかげで、私は精神病を抱える人の力になりたいと思い、福祉の道で生きていこうと決めた。
「自殺は、その周りにいる10人の人生を変える」と言われている。
私はその1人だった。
●精神科病院に就職
私が20歳の時におじぃちゃんは天国へ行った。
12年経ち、2014年、私は看護師になった。
諦めなかった。
精神科病院に就職して、おじぃちゃんに報告することができた。
●精神科に戻ってきたよ
看護師になり、精神科の内科疾患合併病棟で働くうちに老年・終末期看護にやりがいを見つけ転職した。
数年経ち、私は心臓病になった。
「おじぃちゃん、私色々あって精神科に戻ってきたよ!
おじぃちゃんは天国でのんびり幸せに暮らしててね!
私はまだまだここでがんばるからね!」
久しぶりに精神科病棟に戻った私は、おじぃちゃんに報告して、仕事への想いが溢れてきた。
これからここで生活する患者さんたちのためにもがんばろう。
誠実でいよう。
患者さんへの初対面を直前にして、私はおじぃちゃんへ恥じない自分でいようと心の中で誓った。